本日は朝から少し家の仕事。
その後1時間ほど外出して、午後から再び家の仕事。
夜の修錬は升色紙の臨書に取り組みました。
先日の書道大学鑑賞講座で、「臨書もただ原本にそっくりなだけではだめ、その人にしか書けない臨書を」という話が出ていました。
いわゆる形臨ではなく意臨をということだと思いますが、原本を無視して自分勝手に書くことが意臨ではないので、十分な形臨を積み重ねた後でなければ意臨などというものはできるものではありません。
もちろん、1字1字原本を見ながら書いているようでは形は似ても呼吸やリズムは似て来ないので(というか、そもそも呼吸をしていない字になるので)これではダメ。
原本を書いた筆者は1字1字手本を見て書いたりしていません。
かと言って、自分勝手な呼吸で書けば、呼吸は感じられるかもしれませんが、その呼吸は原本とは異なるものなので臨書としては、これまたダメ。
つまり、優れた臨書とはその古筆が持つ独特の呼吸、リズムを再現できたもの、ということになります。
従って、その古筆そのものの呼吸やリズムがつかめるまでは形臨に徹するべき。
1線1線の長さや太細、線と線との間隔、気脈、筆使い、文字間、行間、強弱、濃淡など、細部まで原本を徹底的に観察して、そのすべてを再現しようとすることによってしか、その古筆の呼吸を体得することはできません。
なぜなら線が太くなるところでは筆がグンと沈む時間があり、線と線に距離があるところでは筆が空中に滞留する時間があるわけで、こうした微妙な時間の変化がその古筆のリズムや呼吸を形作っているからです。
原本が太く書いているところを細く書いたり、原本が十分に間合いをとって書いているところを詰めて書いたりしたのでは、原本と呼吸の違うものになってしまいます。
逆に、その古筆が持つ特有の呼吸・リズムを体得して、同じ呼吸・リズムで書かれたものは、たとえ細部は原本とことなっていても全体としてはより原本に似たものになるはず…。
ということで、升色紙ですが、升色紙は他の古筆に比べてこれまでに書いた枚数が圧倒的に少ないので、まだその呼吸がつかみきれていません。
今回は4首と、歌数をしぼっているので、その分1首に時間をかけられるので、すべての歌を背臨できるようになるまで頑張りたいと思います。
まずは「こころをぞ…」の歌を、1文字から連綿単位、行、全体と繰り返し臨書して、最後の2枚は原本を見ずに書きました。
まだ呼吸をつかみきれたというところまではいきませんが、この調子で繰り返し書き込んでいきたいと思います。
本日の修錬は2時間ほど、集中度90%、課題認識度90%、目標達成度40%でした。




